千手院の日々


融けかけたアイスクリーム

まだまだ暑い日が続きますね。
先日、とても暑かったのでコンビニでアイスクリームを買いました。
その時の出来事で、非常に「ハッとする」ことがありましたので紹介させて頂きます。

コンビニの店員さんに会計の際「ハーゲンダッツですかー、美味しいですよね(*´▽`)」と声をかけられました。
私、ここで、頭をガツンと殴られたような気がしました。
知り合いでもないコンビニの店員さんに話しかけられるなんて思ってもいなかったからです。

「一日に数百人以上来る客の一人に、店員さんが声をかける余裕などない」
「店員さんは業務上の会話だけしてればそれで十分。反対に、コンビニという場所に一般の会話など求めていない」
と自分の中で勝手に思い込んでいた部分があったのです。
(特に後者に至っては恥ずかしく、愚かしい思い込みだと思います。)

でもその店員さんは私に笑顔で話しかけてくれました。
その時私は上記のように軽く虚を突かれたので「あっ、ハイ。そうですね」としか返事ができませんでした。
そして私は帰り道、溶け始めたアイスクリームを片手に、そのような恥ずかしさと愚かしさを感じたのです。

ではなぜ「恥ずかしく、愚かしかった」のでしょう。思うに、
「『自分の思い通りにならないのが他者』なのに、『思い通りになる』と勝手に信じ、それが裏切られたことを”知った”」からではないでしょうか。”知った”という事がミソですね。
今回で言うと「店員さんは話かけてこないモノだ」と信じていて、事実はそうではなかった事を”知った”、という事だと思います。
他人が自分のすべてを知らないように、自分の見ている物が世界の全てではない、という事ではないでしょうか。ありきたりな言葉ですけど。

次にそのコンビニに行った際には、私のオススメのアイスを彼に勧めてみようと思います。
(というか、私コンビニついての雑記ばかりですね笑)
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コンビニと和尚がミスマッチである理由

こんにちは。早い物でもう小寒い時期になりました。

皆さん突然ですが、和尚さんが法衣を着てコンビニで買い物をしていたらどう思われますか?たぶん大抵の方は「おいおーい」とか「俗っぽい」とか「精進がたらん」とか思われるのではないでしょうか?お笑いコンビの「ボケ役がツッコんだ」のを見たときのような苦い気分になってみたり。
では何故そのように思うのでしょう?

一言で言ってしまえば「思い込みと現実のギャップ」です。皆さんの中には「理想の和尚像」があると思います。若しくは「和尚はこういう存在だ」という思い込みがあると思います。それは何から形成されたイメージなのでしょう?沢山の和尚を観察して得られた統計的な解析結果なのでしょうか?おそらく違います。いろいろな恣意的な情報を統合した「自分なりのイメージ」に過ぎないと思います。

そのコンビニの和尚は実際、「ボールペン」を買っただけかもしれない。飲み物を買っただけかもしれない。教義的にはなんの問題もないかもしれない。だけど「合理化の権化」たるコンビニに、「ストイックの化身」たる坊さんはなんとなく居てほしくない。

この「イメージと実際のミスマッチ」が原因で、皆さんは苦い思いをするのです。そしてまた、このミスマッチは普段の生活でよくあるんじゃないでしょうか。よくあるってことは、皆さんは日常的に「誰かを何かのイメージにはめ込んで見ている」ということです。先生を、政治家を、お医者さんを、公務員を、親を。
それらを「こうでなくてはならない。こうあって欲しい」とこちらの一方的な願望にはめこむのです。彼らの実際はまったくあなたのその恣意的なイメージなんかではないはずなのに、です。
なぜでしょうか?楽だからです。そして、その願望と違う観察結果が得られたとき、苦い気分になるのです。

「れりごー、れりごー」と流行った今年。ありのままを観察し、受け入れることの難しさがあるからこそ、この「れりごー」は流行ったのです。わかっちゃいる。わかっちゃいるけど、実践できないことに、やはりまた悩んでしまうのです。

ちょっとづつ。ちょっとづつだけど「考え方」のトレーニングをしていくといいと思います。思考は筋力と一緒で、トレーニングで鍛えることができます。「自分の考えたい考え」に自然になるように、自分の思考回路を組むことができるのです。

是非「思考のトレーニング」に取り組んでみて頂きたいです。

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ザ・ストイック。真言宗中山寺の仁王さん。この筋肉を作るのにどれほどのストイックなトレーニングがあっただろう・・・。

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