千手院の日々
コンビニと和尚がミスマッチである理由
こんにちは。早い物でもう小寒い時期になりました。
皆さん突然ですが、和尚さんが法衣を着てコンビニで買い物をしていたらどう思われますか?たぶん大抵の方は「おいおーい」とか「俗っぽい」とか「精進がたらん」とか思われるのではないでしょうか?お笑いコンビの「ボケ役がツッコんだ」のを見たときのような苦い気分になってみたり。
では何故そのように思うのでしょう?
一言で言ってしまえば「思い込みと現実のギャップ」です。皆さんの中には「理想の和尚像」があると思います。若しくは「和尚はこういう存在だ」という思い込みがあると思います。それは何から形成されたイメージなのでしょう?沢山の和尚を観察して得られた統計的な解析結果なのでしょうか?おそらく違います。いろいろな恣意的な情報を統合した「自分なりのイメージ」に過ぎないと思います。
そのコンビニの和尚は実際、「ボールペン」を買っただけかもしれない。飲み物を買っただけかもしれない。教義的にはなんの問題もないかもしれない。だけど「合理化の権化」たるコンビニに、「ストイックの化身」たる坊さんはなんとなく居てほしくない。
この「イメージと実際のミスマッチ」が原因で、皆さんは苦い思いをするのです。そしてまた、このミスマッチは普段の生活でよくあるんじゃないでしょうか。よくあるってことは、皆さんは日常的に「誰かを何かのイメージにはめ込んで見ている」ということです。先生を、政治家を、お医者さんを、公務員を、親を。
それらを「こうでなくてはならない。こうあって欲しい」とこちらの一方的な願望にはめこむのです。彼らの実際はまったくあなたのその恣意的なイメージなんかではないはずなのに、です。
なぜでしょうか?楽だからです。そして、その願望と違う観察結果が得られたとき、苦い気分になるのです。
「れりごー、れりごー」と流行った今年。ありのままを観察し、受け入れることの難しさがあるからこそ、この「れりごー」は流行ったのです。わかっちゃいる。わかっちゃいるけど、実践できないことに、やはりまた悩んでしまうのです。
ちょっとづつ。ちょっとづつだけど「考え方」のトレーニングをしていくといいと思います。思考は筋力と一緒で、トレーニングで鍛えることができます。「自分の考えたい考え」に自然になるように、自分の思考回路を組むことができるのです。
是非「思考のトレーニング」に取り組んでみて頂きたいです。
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